#相続 & #裁判

   アップロード  08.22(2024)
   最終更新日  02.14(2025)


親の面倒を見ている人は必見


令和5年6月に29年間世話をしてきた母が亡くなった

途端に世話を丸投げしていた兄弟が約束を破って放棄した筈の遺産遺留分を要求

相手側は弁護士を雇い裁判所に調停を申立て

その弁護士は要介護と要支援の区別もつかない介護素人

事実とかけ離れた主張を堂々と裁判所で出来る現実の恐ろしさ

調停の最後は始めて出てきた若い判事が不調を宣言し30秒で終了

半年も掛った調停は時間と費用の無駄

今度はこちらから地方裁判所に遺留分の不存在の確認を求める訴訟を提起

今→地方裁判所で係争中・・・訴状

長期に渡る親の介助の果てが裁判所

相手方の弁護士や裁判所は想像もしていない事を言ってきます

こんなことになるなら記録しておけば良かった事が沢山有ります

詳細を公開します

介護の苦労が報われるよう是非参考にしてください


今までの経緯

その1-母との同居開始~母死亡まで

  平成 5年 9 父から「年を取ったし、母さんの膝の調子も悪いので同居して面倒を見て欲し  
    しい}と言われ、同じ敷地内に私達夫婦 が住む「離れ」を建設することにした。
 
    この時、母屋の建物は父名義だったが土地は母名義だったので、両親に  
    「離れ」を建設するのだから  
      ・母名義の土地は将来私が相続する  
      ・代わりに父名義で弟が自宅を建設した土地は弟に譲る  
    と言う条件で同意した。  
             教訓  親子と雖も必ず文章にしておくべきだった  
       
  平成 6年 5月 この月に「離れ」が完成し同居開始。「離れ」の建設費(850万円)は当然私が負担。  
    なお、この時点で母は既に膝に水がたまる症状で歩行は300m位が限界で  
    通月2回の院と日々の買物等に介助が必要だった。  
       
  平成 6年 6月 父が突然事故死。遺産は  
      〇弟が自宅を建設した市内の土地(202㎡)  
      〇母が居住する母屋の建物(築19年で評価額142万円相当)  
    であったが、母屋には母が引き続き住むので実質遺産は弟の自宅土地だけだった。  
       
  平成 6年10月  母が父の遺族年金を受け取れるよう、妻が母に替わって手続きし、月々約15  
    万円を受け取れるようになったが、母は「今はお金が無い」と言い、自分で欲
 
    しいものは自買うが、公共料金や食費など生活費は一銭も出さず、事実上私
 
    が扶養する状態になった。  
             教訓 →母の死後、弁護士に言われて市役所に母の所得証明を申請に行ったら、  
      そもそも所得申告していないので出せないとのこと。5年は遡って申告できる  
      との説明に遡って申告。なんと1年当たり5万円位の還付金があった。  
       
  平成 6年12月  父の遺産分割協議で  
      ・父名義の土地は弟が自宅を建設済みなので父との約定により弟名義とする。  
      ・「母屋」は母が引続き住むので母名義とするのが順当だったが、足が悪く掃除
 
       も出来ない状態だったので、管理上私名義とし、私の妻が掃除などの管理を  
       担当する  
    事になったが、 これでは弟だけが父の遺産を相続することになるので、本来なら  
    母が亡くなった時に協議すべき母名義で母と私の住む母屋と離れが建っている母  
    名義の土地(263㎡)を、私が離れを建設するときの両親との約定に基づき、将来  
    母死亡の時は私が相続することを、母を含めた全員の同意を得て、   
      ・私が妹に将来私が相続する母名義の土地の遺留分として現金300万円払う 遺産分割協議書
      ・弟は相続する父の土地の遺留分として同じく妹に300万円払う  
    事を提案したが弟は「土地は家を建てる時に親父からもらったのだから兄貴が母  
    の土地を貰うことに異存は無いが姉に300万円は払う必要は無い」と妹への支払い  
    を拒否した。  
    これでは不公平なので母に相談したら、「本人に聞いてみて」と言うので妹に弟の言  
    い分を伝えたところ「嫁に出て一銭も貰えないと思っていたのに兄さんから300万円  
    も貰えるらそれでいい」と言うので母にそう伝えると「○○子が良いと言うならそれで  
    良いと言うので、この案で遺産分割所を作成し、更に合意の条件である  
     ・母が亡くなった場合、弟と妹は遺留分も含め土地の相続権を放棄する 念 書
     ・預貯金等の動産はその時点では約73万円だけだったが、その後の事は想像で  
      出来なかったので母が亡くなった時相談する  
     事にして、その旨「念書」を作成した。  
             教訓  →遺留分の放棄は家庭裁判所の許可が必要。当時は母も兄弟も知らなかった。  
      (今になって相手側弁護士がこれを根拠に念書は無効と言うが、裁判所の許  
       可を受けなかった責任は兄弟全員が負うべき)  
       
  平成26年12月 月末に整形外科で膝にヒアルロンサンの注射をした日に膝が腫れ歩行困難になる。  
     この時から24時間見守り介助が必要になった。  
       
  平成27年01年  年明けを待って入院。病院から以前にも増して歩行が不便になるので介護申請を  
    するように指導を受け直ちにに申請。   
    月末に退院。   
    歩行は以前は杖をついて300m位だったが、退院後は「歩行器」を使って50m位ま   
    でになった。 (病院の斡旋で歩行器24,000円を1台購入)  
     これに伴い母屋の母が使用する部分全てに手すりを設置、段差を埋めバリヤフリー  
    に改修した。(風呂場は業者に委託したが、他は全て私がホームセンターで材料を  
    購入、自身で工事した。)費用は全て私が負担した。  
    れ以後も、身体の不自由に 増すたびに追加工事が必要だったが、母は「私は  
     大丈夫だから工事は必要ない」と一切金銭的負担を拒否したが、私が見かねて  
     お金を出して追加工事を行っていた。  
       
  平成27年03月 1月に遡って要支援2に認定。  →介護レベルの
    認定を受けると介護保険適用となり高額な施設の利用が可能になる。   基準と母の症状
       
  平成27年05年  自宅近くのリハビリ施設に週2回通うことになった。   
    一番助かったのは入浴サービス。自宅での入浴回数は週2~3回となった。   
       
  平成30年02月  症状が悪化し要介護1に認定  
       
  平成30年07月  更に症状が悪化要介護3に認定  
       
  令和元年07月  少し症状が改善し要介護1に戻る。   
       
  令和04年07月  再び症状が悪化し要介護2に再び認定。   
       
  令和05年06月 母自宅ベットにて死亡。心不全。享年99歳。  

その2-遺言書の検認~調停~裁判

  令和05年08月 家庭裁判所で母の遺言書の検認を受ける。  遺言書と検認証明
            教訓  →遺言書は裁判所の検認を受けないと法的には有効にならない。  
     ※この段階ではまだ兄弟を信じていたので3人の目の前で開封すれば良  
      いと思っていたが、葬祭センターの職員が司法書士を紹介してくれると  
      いうので遺言書の話をしたら、「遺言書があっても揉める場合が多いの  
      で遺言書は必ず裁判所の検認を受けた方が良いです」というので、ネット  
      で書式をダウンロードして書類を作成した  
       
  令和05年09月 相続人3人が集まり遺産分割会議。   
    二人は   
      ・土地の遺留分を貰いたい。過去の約束は忘れた。  
     ・預貯金について寄与分は一切認めない。遺留分として預金総額の   
    6分の1づつ(二人で総額の3分の1)を要求
    してきて決裂。葬祭センターの職員の言う通りになった。さすが専門家  
    だった。   
       
  令和05年10月  家庭裁判所に調停を申し立てるために必要書類を揃えて弁護士に依頼   
    したが、現在5件の訴訟を扱っているので少し待って欲しいとのこと。   
    だたし、土地の登記謄本など必要書類を弁護士の指示で集める。   
       
  令和05年12月  弁護士と契約。着手金53万9,284円。   
             教訓 →お金がないと弁護士を頼めない。  
       
       
  令和05年12月  相手方2人が弁護士を雇い、遺留分を請求する配達証明付き文書届く。   
       
  令和06年02月  相手側弁護士が家庭裁判所に調停を申立て。   
    妻がこれに書かれた「申立ての理由」を読み悔しさに涙を流しました。   
    元々相手方は実家に殆ど寄り付かず、金銭の出納や介護の実態を知らず   
    相手方弁護士も介護に関する知識が無いようで、根拠ない推測で検討違い   
    いも甚だしい主張をしています。  →相手側調停申立書 
    預金の引出しを母に頼まれて、誠実に母の介助をしていた妻に対する侮辱   
    です。   
    こんな人権無視の文章がまかり通り司法精度に疑問を持ちました。   
       
  令和06年03月  当方も調停を申立て。   当方調停申立書
       
  令和06年07年  家庭裁判所の調停不調   
   




その3-方裁判所に遺留分不存在確認の訴訟を提起

令和06年07月  地方裁判所に遺留分不存在の確認を求める訴訟を提起
令和06年09月 弁護士から10月25日1回目の公判をWEBで行うとの連絡あり。 
判事と双方の弁護士で行うとのこと。→当事者不在で行われるらしい 
       
  令和06年12月  第1回WEB会議 裁判所係と双方の弁護士でお互いの主張を確認。  
       
  令和07年02月  第2階WEB会議 裁判官から主張の根拠を次回迄に提出するよう指示があった。